東京高等裁判所 平成3年(う)1009号 判決 1992年5月27日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中二五〇日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人高野隆作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官渡部義弘作成名義の答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。
一 控訴趣意第一(公判中のメモ等の授受を制限したことに関する訴訟手続の法令違反の主張)について
所論は、要するに、原審裁判官は、拘置所職員の要求に従い、公判中に弁護人が被告人とメモ等を授受しようとするのを制限し、拘置所あるいは裁判所の用意するメモ用紙等の使用を命ずるなどの訴訟指揮を行ったが、これは日本国憲法三四条前段、三七条三項、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下、「B規約」という。)一四条三項(b)、(d)に違反するものであって、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
仮に原審の訴訟手続に所論の違法があるとしても、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえないが、念のため、所論にかんがみ、原審記録を調査して検討すると、次の事実が認められる。すなわち、被告人は東京拘置所に勾留されていたところ、原審第二九回公判期日(平成三年一月二二日。なお、同期日には検察官申請にかかる証人二名――いずれも原判示第一の事実の被害者――の取調べなどが予定されていた。)に、原審弁護人高野隆が「被告人に対し、弁護人が持参しているメモ用紙および筆記用具の使用を認められたい。」との申出をしたのに対し、原審裁判官は、「拘置所の方で用意されているメモ用紙および筆記用具を使用されたい。」として、被告人が法廷で弁護人の持参したメモ用紙および筆記用具を使用することを認めなかった。そこで、高野弁護人は、原審裁判官のこの訴訟指揮に対し、「被告人に対し弁護人が持参したメモ用紙および筆記用具の使用を認めないのは、被告人の防御権を制限するものである。」として異議申立をしたが、原審裁判官はこれを棄却した。また、原審第三五回公判期日(平成三年五月二日。なお、同期日には検察官申請にかかる証人一名――原判示第一の共犯者の一人――の取調べが予定されていた。)に、高野弁護人が「被告人に対し、弁護人が持参しているメモ用紙を使用すること、これに筆記させ、閉廷後弁護人が裁判所又は拘置所の関与なしに直接受け取り、弁護人が持ち帰ることを要求する。」と求めたのに対し、原審裁判官は、「裁判所で用意したメモ用紙を使用されたい。また、この法廷で被告人が筆記したメモ用紙を弁護人が持ち帰ることを希望するときは、一旦裁判所に提出させた上で交付する。」として、高野弁護人の要求をいれなかった。これに対し、高野弁護人は、「弁護人と被告人の間で自由かつ秘密に相談するということは、憲法上保障された基本的権利であると思料する。右裁判官の訴訟指揮は、憲法上の権利を侵害するものである。」として異議申立をしたが、原審裁判官はこれを棄却した。
以上の事実にかんがみると、原審裁判官は、原審の右各公判期日において、弁護人の持参したメモ用紙や筆記用具を被告人に交付すること及び被告人が審理中に公判廷で作成したメモを裁判所を経由することなく直接弁護人に交付することを許さないとする訴訟指揮を行ったことが認められる。
なお、所論は、原審裁判官が被告人と弁護人との間でメモのやり取りをしたり、被告人の作成したメモを閉廷後に弁護人が入手することをも許さなかったかのようにいう。しかし、原審裁判官の訴訟指揮は、右のとおりであって、被告人及び弁護人が審理中の公判廷において作成したメモを相互に閲覧したり、あるいは、弁護人が、被告人の記載したメモの内容を自己の用紙に転記することや、審理中の公判廷で被告人が作成したメモを閉廷後に弁護人が入手すること自体までも禁止したわけではない。要するに、原審裁判官は、当該被告事件を審理しているその公判廷において、弁護人と被告人との間でメモ用紙や筆記用具ないしメモといった物を直接授受することを許さない、との訴訟指揮をしたにとどまるのである。
ところで、所論は、このような原審裁判所の訴訟指揮は、被告人と弁護人との自由かつ秘密のコミニュケーションをする権利を侵害するものであって、憲法三四条前段、三七条三項、B規約一四条三項(b)、(d)に違反する違法なものである旨主張する。
憲法三四条前段は、刑事手続等における身体の拘束に伴う弁護人依頼権を保障し、これを受けて刑訴法三九条一項は、身体の拘束を受けている被告人又は被疑者が弁護人又は弁護人となろうとする者と立会人なくして接見し、又は書類若しくは物の授受をすることができると規定し、被告人と弁護人とのいわゆる接見交通権を保障する。そして、この接見交通権は、被告人の防御権及び弁護人の弁護権行使の基本的前提となるもので、被告人及び弁護人の双方にとって刑事手続における重要な基本的権利であることはいうまでもない。しかし、その接見交通権といえども、絶対的かつ無制限なものではなく、被告人に対する身体的拘束の目的等に照らして、その権利行使の時間、場所態様等に関する合理的制約のあり得ることは当然であって、この見地から刑訴法三九条二項は「前項の接見又は授受については、法令(裁判所規則を含む。)で、被告人又は被疑者の逃亡、罪証の隠滅または戒護に支障のある物の授受を防ぐため必要な措置を規定することができる。」と定めているのである。また、憲法三七条三項の定める弁護人依頼権を実質的に保障するためには、B規約一四条三項(b)、(d)の規定するような権利を保障し、被告人と弁護人との自由かつ秘密のコミニュケーションが確保されなければならないことはもとよりである。しかしながら、憲法三七条三項の保障する弁護人依頼権やB規約一四条三項(b)、(d)の規定する権利も、その文言や趣旨に照らして、絶対的かつ無制約なものとは到底解されないことは、憲法三四条前段の保障に基づく接見交通権の場合と異なるところはない。そして、これらの理は、所論が指摘し援用する被告人ないし被拘禁者の人権に関する各種国際規約類等に照らして考察しても、別段異なるところはない(ちなみに、一九八八年一二月九日の国連第四三回総会において決議された「あらゆる形態の拘禁・収監下にあるすべての人の保護のための原則」の原則一八の三も「拘禁…された者が…完全に秘密を保障されて自己の弁護士の訪問を受け、弁護士と相談し、交通する権利は、法律または法律に基づく規則により特定された例外的な場合において司法官もしくは其の他の官憲により安全と秩序を維持するために不可欠であると判断されたとき以外には停止されたり制限されてはならない。」としており、被告人等拘禁された者が弁護士ないし弁護人と交通し、その援助を受ける権利も、司法官等が法令の定めるところに従ってこれを制限し得るものとしていることが明らかである。)。そして、刑訴法三九条二項に基づく接見交通権に対する法令上の制限として監獄法の諸規定のほか、刑訴規則三〇条が、裁判所の構内における接見交通について接見の日時、場所及び時間の指定や書類ないし物の授受の禁止などの制限を裁判所の裁量に委ねている。
右のとおり、憲法及びB規約は、所論が主張するように、当該被告事件について現に審理中の公判廷において、被告人と弁護人がなんらの制限も受けないで、自由に物を授受することができる自由までも保障するものではない。しかしながら、接見交通権は、被告人の防御権を実質的に保障し、これを適切に行使するための重要な権利であって、当該被告事件を審理中の公判廷においても、可能な限り尊重されるべきは当然であり、裁判所の訴訟指揮権をもってしても、被告人の防御権ないし弁護人の弁護権を不当に制限することが許されないことは勿論である。裁判所の訴訟指揮が接見交通の権利を不当に制限し、その結果、被告人に重大な支障ないし不利益を与えるような場合には、その訴訟指揮は、右刑訴規則によって委ねられた裁量権の合理的範囲を逸脱したものとして、違法となるといわなければならない。
ところで、本来法廷は審理の場であって、被告人と弁護人との間で物の授受が行われることが当然に予定されている場所ではなく、とくに当該被告事件を現に審理中の公判廷において、被告人と弁護人との間で物の授受をしなければ、被告人の防御権や弁護人の弁護権の行使に重大な支障を及ぼし、被告人に不当な不利益を与えるおそれがあるような場合があるとはたやすく考え難いところであるが、ともあれ現に審理中の公判廷において、被告人と弁護人との間で物を授受しようとする場合には、その物の授受を許すか否か、あるいは許すとしてどのような方法によるべきか等は、専ら審理を主宰する裁判所が、右規則の趣旨にかんがみ、その合理的必要性や被告人の逃亡、罪証隠滅の防止ないし戒護に支障を来すおそれの有無等を総合的に考慮して決すべきところであると解される。
本件では、原審裁判官は、既にみたとおり、本件を現に審理中の公判廷で、被告人と弁護人との間でメモ用紙や筆記用具を直接授受すること及び被告人が審理中に公判廷で作成したメモを直接弁護人に交付し、これを弁護人がそのまま持ち帰ることを許さなかったが、この原審裁判官の訴訟指揮が合理的な裁量の範囲を逸脱し、被告人の防御権や弁護人の弁護権を侵害し、被告人に不当な不利益を与えたとは考えられない。すなわち、原審裁判官は、被告人が公判中にメモを作成するについて、被告人が拘置所ないし裁判所の用意したメモ用紙、筆記用具を使用するよう命じたが、そのことで、弁護人が持参したメモ用紙、筆記用具を使用する場合と比較して、とくに被告人の防御権や弁護人の弁護権の行使に特段の支障ないし不利益が生じるなどとは考えられない。また、原審裁判官が、審理中の公判廷で被告人が作成したメモを一旦裁判所に提出させたうえで弁護人に交付する旨の訴訟指揮をした点を検討しても、この訴訟指揮は、審理を主宰し法廷の秩序維持の権限と職責をになう裁判所が、被告人の逃亡や罪証隠滅の防止ないし戒護に支障がないか否かを判断するために必要な当然の措置というべきである。原審裁判所が、右の訴訟指揮を行うにあたり、裁判所に委ねられた合理的裁量の範囲を逸脱し、被告人の防御権や弁護人の弁護権を侵害し、それらの権利の行使に重大な支障ないし不利益を与えたなどとは認められない。
以上の次第であるから、原審裁判官の訴訟指揮は、憲法三四条前段、三七条三項やB規約一四条(b)、(d)に違反するものではないことはもとより、裁判所に委ねられた裁量権の合理的範囲を逸脱するようなものではなく、適法かつ正当であったものと認められる。そうすると、原判決には所論のような訴訟手続の法令違反はなく、論旨は理由がない。
二ないし五<省略>
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中二五〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小泉祐康 裁判官鈴木秀夫 裁判官川原誠)